魂(たま)かへり、魂かへりつつ皇國護らむ
-永遠の平和を願う戦没者7万3千余名の魂-
鹿児島が生んだ最後の陸軍大将牛島満は、陸軍内部の傑出した教育者として士官学校長を務めました。そして、1944年(昭和19)南西諸島防衛のため第32軍司令官に就任、米軍の沖縄攻撃を迎えることになりました。
3ヶ月に渡る必死の防衛戦も空しく、1945年(昭和20)6月23日未明、ついに沖縄本島南端の摩文仁の丘で自決したのです。
矢弾尽き 天地を染めて 散るとても
魂かへり 魂かへりつつ 皇國護らむ
何度も何度も生き返って国を守りたいという悲壮な誓いが、愛する人を想い、愛する国を想いつつ散った当時の軍人達すべての切なる願いを伝えています。
またこのとき牛島は、多くの犠牲者を出した沖縄県民への特別の配慮も訴えています。
この墓地は以前は陸軍墓地といい、日露戦争、済南事件、満州事変、日中戦争、第2次世界大戦で没した7万3千余名が葬られ、毎年、春分、秋分の両日慰霊祭が行われています。
(注)牛島満の墓は、現在、東京の青山墓地にあります。
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