大東亜戦さなかの昭和
十八年あご島海軍航空
隊がここに生まれる
多くの若鷲がこの鴨池に
巣立ち祖国防衛戦に散った
戦後二十年友相寄り相
語りて亡き戦友の霊を
慰めるためこの碑をた
てる
昭和四十一年四月
鹿児島海軍航空隊任隊者有志
貴様と俺の碑
大東亜戦争中の昭和十八年卯月初
鹿児島海軍航空隊がここに生まれ
数多くの荒鷲がこの鴨池に巣立ち
祖国防衛戦に散った
戦後二十年 隊友相寄り相語りて
我が国の危難に殉じた戦友の鎮魂
を祈りこの碑を建立する
一 正面上段のブロンズ像は若い搭乗員
が昇天しているところを表しています
一 二体の石柱は天に向かって永遠の平
和を祈る合掌を表しています
一 右柱の七つの穴は予科練の七ツ釦を
表しています
鹿児島海軍航空隊
慰霊顕彰会
過ぐる日ここに渚があった
白砂を老松と静謐とがあった
鹿児島海軍航空隊がこの地に
開設されたのは太平洋戦争
さなかの昭和十八年四月である
急に慌しくなった
まだ童顔の残る十六・七歳の
少年たちが祖国の危難を憂いて
集まった
各種の飛行練習生として
短艇を漕ぎ防戦に励み
漕艇を学ぶなどの基礎訓練を重ねた
その数は最盛期七千人
敗戦まで二万人ほどである
その間米軍機の空襲に遭い
また転出先からの迎撃戦や
特別攻撃で戦死した基地出身者は
千二百八十人に上った
戦後繁栄の裏側に遠のいた
彼らの犠牲を生き残った者としては
いつまでも忘れないでいる